関西フィル/リトミカ・オスティナータ
2月9日にザ・シンフォニーホールで行われた関西フィルハーモニー管弦楽団の第190回定期演奏会に行って来ました。奇しくも前日は伊福部先生の一周忌。特別な演奏になる感は拭えません。
指揮は飯守泰次郎。関西フィルの伊福部作品の演奏というと藤岡幸夫の指揮でしか聴いたことがありませんが、指揮者が変わったところで新しいイメージでの演奏を期待したいところです。
演奏曲目は次の通り。
シベリウス/『交響詩「フィンランディア」』作品26
伊福部昭/『ピアノとオーケストラのための「リトミカ・オスティナータ」』
ショスタコーヴィチ/『交響曲第5番 ニ短調 作品47』
今年の関西フィルの定期演奏会では20世紀の作曲家の作品に焦点を当てるとのことで、「ノスタルジア」と題打たれた今回は民族的指向の強い3人の音楽家の作品を取り上げたとのことです。
シベリウスはこの曲しか知らないという『フィンランディア』ですが、中学・高校時代の音楽の先生は合唱マニアの先生に当たってしまったお陰で音楽の時間といえば年中ほとんどコーラスばっかり。クラシックの名曲の鑑賞なんて皆無に近かったと思いますが、そんな中で聴いた数少ない曲として覚えています。(今にして思えば後で「フィンランディア賛歌」を歌わせる前振りだったんでしょうが)
伊福部先生の『リトミカ・オスティナータ』は10年前にも同じ関西フィルによる伊福部コンサートで聴いた覚えがありますが、あまり強い印象は残っていませんね。この曲も比較的早い時期にCD化されてる曲なので馴染みは深いのですが、種類はあまり出てないようですね。
この曲に関しては『日本作曲家選輯 伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ』の記事でも触れてるので、そちらを参照ください。
最後のショスタコーヴィチに関しては『涼宮ハルヒの憂鬱』で使われていた『交響曲第7番「レニングラード」』のCDを押さえてあるぐらいでまったく知らない人です。
この『交響曲第5番』はスターリン体制化のソ連で反社会主義的だと批判を受けたショスタコーヴィチが名誉回復のために表面上は社会主義に迎合しながら、裏に痛切な皮肉を込めた曲として作られた作品とのことです。(もっともこのことはずっと後になってからの弁解めいたものなので、実際はどうだかわかりませんが)
体制への迎合というと伊福部先生も戦時中は陸軍や海軍、挙句の果てには満州国からの委嘱作品まで作ってますが、戦後そういった作曲動機の作品を不本意であると表明はされてるようですが、変な弁解はされていませんね。ご自身の希望で演奏が禁じられてるという『音詩「寒帯林」』も、作品そのものには何ら政治的な内容なんか含まれてはいないはずですから。
(『寒帯林』と『交響舞曲「越天楽」』は是非聴いてみたいんだけど……)
シベリウス/『交響詩「フィンランディア」』作品26
ゆったりとしたブラスのファンファーレで始まったかと思うと、ティンパニーの連打が波乱を起こし、それをコントラバスが増幅していくような感じ。一転して静かなストリングスの調べが始まるものの、それに対するアンチテーゼのように絡んでくるコントラバスとティンパニー。
普通、コントラバスってストリングスの下支えをする役割が多いのに、この作品ではティンパニーと一緒になって反発を加えてるのが珍しいですね。
そして次第に厚く盛り上がってくるストリングス。途中、トランペットとの掛け合いが入るのが印象的。
まるで銅鑼のようなシンバルの響きと共に一斉に鳴り響き始まるオーケストラ。まるでクライマックスのようにアップテンポに盛り上がっていきますが、終盤に入ってからは再び静かなストリングスによる「フィンランディア賛歌」。一番馴染みの深い美しい旋律です。
ラストは再びオーケストラ全体が盛り上がって終了。
全体的にちょっと堅いって感じで、音の出が悪そうだったのですが、コンサートの1曲目はオーケストラの慣らし運転みたいなものと考えれば、まずまずの演奏だったんでは無いでしょうか。
伊福部昭/『ピアノとオーケストラのための「リトミカ・オスティナータ」』
土俗的なホルンの調べで始まり、しばらくオーケストラは少しずつ音を出していく状態が続きますが、ピアノは最初から全力疾走です。空間を切り裂くようなクラヴェス(拍子木)の響きがこの曲の特徴のひとつでもありますが、CDなんかで聴くより遥かに強く響いて来ます。
ピアノが独走を続ける中、オーケストラは脇役に徹しながら着実に音を奏でています。そして次第に盛り上がっていくオーケストラに対し、ピアノは微塵も衰えを見せずに健闘している感じです。
フルートがメインで奏でる土俗的旋律。それに応える重低音のコントラバス。ひたすらリズムを引っ張るピアノ。
オーボエが土俗的なフレーズを奏でた後、盛り上がっていくオーケストラ。ここで2つのモチーフが交互に繰り返されていくのですが、1つは『キングコング対ゴジラ』での「コング輸送作戦」等に使われているのと同じモチーフ。もう1つが変拍子になってて別物としか聴こえないのですが、この曲の解説でよく語られている『ゴジラ』のモチーフのようですね。ここではピアノはリズミカルに弾けていますが、この辺の掛け合いでもピアノがオーケストラに対して全然力負けしてないというのが凄いです。
終盤のゆったりとしたフレーズも崩れることなく仕切ってる感じで、バイオリンのスタッカートの連続も乱れが見られません。
ピアノの横山幸雄は文句なしの熱演、オーケストラもそれに応えてそれなりの音を出してきています。この曲を生演奏でここまで見事に聴ける機会というのはまず無いのではないでしょうか。
終演じゃなく休憩の前だというのにいつまでも拍手が鳴り止まないというのも初めて目にしたような気がします。
ショスタコーヴィチ/『交響曲第5番 ニ短調 作品47』
第1楽章 Moderato - Allegro non troppo
「Moderato」は中くらいの速さで、「Allegro non troppo」はあまり速くならずにという意味だから、適当にゆっくりという感じでしょうか。
コントラバスの低音と流れるようなバイオリンから始まり、やがて断続的に盛り上がっていくバイオリンと反発するコントラバス、その中間を埋めるようなヴィオラ……という感じでストリングス主体で展開していく序盤。
引き続きマイナー調のモチーフを奏でるストリングスに対し、木管やブラスが加わってきてオーケストラ全体が盛り上がって行きます。
コントラバスの低音に重なる感じで響くホルンの調べに、一斉に反発していくストリングス。トランペットのファンファーレから一転して軍隊の進撃風の音楽になってきます。シンバルやティンパニーが鳴り響く派手な重低音のマーチが次第にクライマックスに盛り上がった後は、力強く徐々にゆったりとしたテンポに落ち着いていく感じ。
終盤は安らぐようなフルートの調べが奏でられた後、バイオリンがバラード風に展開して終わります。
第2楽章 Allegretto
「Allegretto」はやや速く。
コントラバスの重低音とブラスで始まり、フルートが高音を奏でる始まり。続いてストリングスが力強く盛り上がっていく勇壮な展開。
踊るようなバイオリンのソロの後、同じ旋律を繰り返すフルートのソロが印象的。そして曲は再び勇壮に盛り上がっていきます。平和な日常を壊して大義のために進んでいく軍隊の足音って感じでしょうか。
それに反発するように悲痛に盛り上がっていくコミカルなモチーフ。退けられる平和への訴えという感じですが、社会主義革命に取っては破壊すべきブルジョアの安寧というような嘲笑的な意味合いもあるようです。それに引き換え、軍隊は景気良く楽天的に盛り上がってるような感じですね。
軍事的高揚と退けられる平和の訴えというところで思い出したのは羽田健太郎『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』の第4楽章。ここでは平和への訴えはけっして嘲笑されるものでも大義の前に捨て去られるべきものでもなく、やがて最後は「大いなる愛」へと昇華されて行きますが、あらゆる面でこの第2楽章とは対照的ですね。
第3楽章 Largo
「Largo」はゆるやかに。
優雅で悲しげなストリングスの調べで始まる曲ですが、どうも第1バイオリンが休んでる感じで、第2バイオリン、ヴィオラ、チェロで奏でられてるというのが珍しい感じ。
続いて第1バイオリンが弱々しく流れるようなフレーズを奏で始めます。アクセント的に挿入されるハープの音色や、物悲しいフルートの音色。なお悲痛に訴えかけてるような平和への哀歌のようです。
ハープが2本入ってたのが珍しいと思ってたら、『フィンランディア』でも『リトミカ・オスティナータ』でもなく、この曲のためだったようですね。
儚げに消え去りそうなフルートのソロ。次第にレクイエム風に奏でられ、コントラバスとチェロ、ヴィオラ、バイオリンの順で悲壮なフレーズを重ねてきます。
ブラスは出て来ないわ、ストリングスの使い方が珍しいわ、一種独特の楽章ですね。
第4楽章 Allrgro non troppo
「Allegro non troppo」はあまり速くならずに。
眠気を掻き消すような重低音のオーケストラ全開でスタート。どこかで聞き覚えのあるフレーズだと思ったら、昔、このザ・シンフォニーホールのそばにある朝日放送でやってた『部長刑事』で使われてた曲ですね。
とにかく激しいフレーズの連続で、ティンパニーの連打とシンバルが重なって、ただただうるさいかぎりです。日常を破壊していく軍隊の横暴って感じですね。
途中、ゆったりとしたホルンとストリングスの一見平和そうなフレーズが皮肉的に聞こえます。
木管から徐々にゆっくりと再現されていく軍隊の暴力。そのままクライマックスに達して最後まで全開のオーケストラ。社会主義革命の完璧な勝利宣言ってところなんでしょうが、それをファシズムだとか人民解放軍だとか将軍様の軍隊だとかと置き換えても同じような気がします。
社会主義革命への賛歌というよりは、何か軍国主義賛美のような曲ですね。平和を退けて軍隊の勝利こそがすべてに優先するなんて曲、とても日本では考えられません。さすがにスターリン時代のソ連は違います。ナチスのワーグナーにけっして負けていません。
ま、ショスタコーヴィチもいったん反社会主義的との批判を受けた以上、こんなスターリン主義に迎合するような曲でも作らないといつシベリア送りにされたり粛清されたりするかわからなかったでしょうから、仕方が無かったんでしょうが。考えてみれば恐ろしいことですね。
ま、そんな曲の表現する内容はともかく、演奏は力強く、素晴らしかったです。
☆ ☆ ☆
失われた祖国のために民族と国土の誇りを歌い上げたシベリウス。自らの保身のための体制への迎合を昇華させたショスタコーヴィチ。楽壇の評価とは無縁にひとり、失われつつある自らの民族性を極めていった伊福部昭。一口に民族主義的な音楽家と言っても三者三様それぞれであり、興味深いものです。
敗戦アレルギーの残る日本では、民族主義というと安易にナショナリズムと結び付けられ、ファシズムや軍国主義と勝手に決め付けられて非難されることが多いわけですが、シベリウスや伊福部先生の音楽はそんなものとは無縁なことは、作品に触れれば明らかなのはいうまでもありません。
伊福部先生が陸軍や海軍のために曲を書いたと言っても、それは普通の民主主義国にもあるような出征する兵士を励ますための曲であって、別に軍国主義を賛美するようなものでもありません。
伊福部先生が文化功労者に選ばれたとき、政府から連絡が来たと知った先生は「今度はイラクに派遣される自衛隊のために音楽を作れという話かと思った」と(恐らく冗談で)仰られたことは有名ですが、結局はその程度のことなのです。曲が気に入らないからってシベリア送りにされたり粛清されたりするようなことは、現在はもちろん、戦時中だって日本ではありえなかったでしょう。
それに比べるとショスタコーヴィチの置かれた状況というのは不幸としか言いようがありません。ですが、そのような逆境がなければショスタコーヴィチの作品が昇華しえたのかどうかはわかりませんし、微妙なものですね。
難しい話はさておき、「凄かった」の一言ですね。とくに『リトミカ・オスティナータ』の横山幸雄のピアノの熱演は、こんなの生で聴いたらCDの演奏なんかとても聴けないって感じです。
さすがにこれだけの濃い演奏の後じゃ仕方ないだろうけど、アンコール演奏が無かったのは少し残念です。飯守泰次郎指揮の『SF交響ファンタジー』とか聴いてみたいと思いますが、今度やってくれませんかねぇ。
次は3月4日の《伊福部昭音楽祭》で、その次は5月の大フィルの定期演奏会での『日本狂詩曲』ですが、伊福部ファンなら31日は外せないところです。
『リトミカ・オスティナータ』の収録CDは下記の3枚。伊福部作品だけで揃えるなら真ん中の『協奏三題』が無難ですが、冒険したい人は一番下のナクソス盤もどうぞ。評価の高いのは一番上の演奏みたいですが、アナログ時代の録音ですからねぇ。
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コメント
こんばんは。濃い解説が記載されておりましのたでトラックバックさせていただきました。
ピアノは出し惜しみ無しと言う演奏で満足できました。良かったです。
投稿: nobumassa | 2007.04.01 02:15
nobumassa様、コメントありがとうございます。
あれだけ物凄いピアノの『リトミカ・オスティナータ』は本当に滅多に聴けなさそうなので、とても感激でしたね。
投稿: 結城あすか | 2007.04.01 08:29
こんばんは。
亀レスすみません。今月末には「日本狂詩曲」を聴きにいきます。滅多に聴けないかもしれませんが、続けて聴けることを素直に喜ぼうとかんがえております。
投稿: nobumassa | 2007.05.19 22:22