「白色彗星」とパイプオルガン ~さらば宇宙戦艦ヤマト~
「白色彗星」といえばパイプオルガン、パイプオルガンといえば「白色彗星」というくらいにすっかりイメージが定着してる「白色彗星」のパイプオルガンの話です。
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のサントラに収録されてる「白色彗星」は、武蔵野音大にあったパイプオルガンを当時高校生だった宮川彬良が苦労して弾いたものだと語られてますが、そこで大いに疑問が湧きます。
ヤマトのサントラの収録なら当然ながら西崎プロデューサーが関与していたはずですが、一流好きの西崎プロデューサーならちゃんとプロのオルガン奏者に演奏させて録音しているはずだと思うのですが、いくら作曲者の息子とはいえピアノしか弾けない素人の高校生にパイプオルガンを弾かせたというのはどういうことなんでしょうか?
このパイプオルガンの曲が羽田健太郎のピアノ、徳永二男のヴァイオリン、木村好夫のギター、宮下明のトランペットと一緒に使われるわけです。どう考えても納得がいきません。
パイプオルガンというと、今では日本中の大きなホールなら見掛けるのも珍しくないくらいにすっかり一般的な楽器になってしまいましたが、それらのホールの大半というのはいわゆるバブルの時代に箱物行政とかで作られたものですね。日本初の本格的クラシックコンサート用ホールと言われるザ・シンフォニーホールも出来たのは1982年。『さらば宇宙戦艦ヤマト』が作られた1978年の時点では日本ではパイプオルガンなんて極めて珍しい楽器だったんじゃなかったのでしょうか。
YAMAHAのサイトのパイプオルガンの記事を見ても、本格的にコンサートホールのパイプオルガンが設置され始めたのは80年代に入ってから。それ以前は音大関係や教会等への設置がぽつぽつとあっただけのようです。
楽器自体が珍しければプロのオルガン奏者なんてほとんどいるわけもありません。いくら一流好きの西崎プロデューサーでもオルガン奏者を呼べなかったというのが現実だったんじゃないでしょうか。だから仕方なく作曲者の息子に弾き方を学ばせながら録音したということなのでしょう。
バブル時代の箱物行政のお陰で、いまや珍しくもないパイプオルガン。オルガン奏者の数も少なくはないでしょう。以前に『幻想軌道』のコンサートで生の「白色彗星」が聴けて感激した覚えがありますが、これもバブルでパイプオルガンが普及したお陰というわけです。こんなこと『さらば宇宙戦艦ヤマト』の1978年の時点ではとても実現不可能なことだったんですね。
ちなみにサントラ盤のライナーにはオルガン奏者として志村拓生という名前が記載されていますが、この人は武蔵野音大の先生で宮川彬良にオルガンの弾き方を指導しながら、ペダル操作だけ担当されたという方みたいですね。
素人に弾かせるくらいなら何でこの人にみんな演奏してもらわなかったんだという気がしないでもないですけど、当時は教職の人なのでよその仕事で演奏するとかいうことに色々と問題があったんじゃないでしょうか。
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コメント
1981年頃、ともかく就学前後に、当時の子供向けの情報番組「600(ろくまるまる)」でやってました、
「パイプオルガンは日本に×台しかない」と。
×台… 9台といったか、17台といったか、思い出せませんが、ともかく少数でした。
ヤマト世代じゃないけど、偶然にもその81年の早いうち(寒い時季)に見た「さらば」、
なによりその約1年前の80年の正月にもテレビ放送で見てしまったものだから
「あのスゴい音は、何の楽器だろう」と疑問でした。
そんな折の「600」の放送、謎が解けたことに
「うわぁ~!ハクショクスイセイってのはコレだ~」
と異様にはしゃいだものです。
十数年前に「各地で演奏希望者の多くなったパイプオルガン」なんて話を耳にしました。
「30代に人気」とも。
それ、モロにヤマト世代じゃないですか(笑)
投稿: はじめまして | 2013.11.07 02:56